ごあいさつ
西宮市西福寺は大正8年(1580年)開基の浄土真宗本願寺派のお寺です。山号は東門山。本尊は阿弥陀如来。本堂外陣96畳、集会所2か所、駐車30台、JR西宮駅から徒歩3分。
住職 豊原 正尚(とよはら まさなお)
西福寺について
西福寺の歴史
東門山西福寺は豊原院釈正西によって創められました。
正西は江州坂田郡(現在の滋賀県米原北方)の出身で、主君浅井氏が織田信長に滅ぼされたため、再び武門に仕えることを望まず、しばらくは丹波方面に隠棲しておりました。しかしながらその丹波も明智光秀に蹂躙され、信長と大阪石山本願寺の間との合戦が激しくなってきたとき、本願寺方に加わりました。天正8年(1580年)本願寺が信長と和睦したため剃髪し、現在地に草庵を建てました。
西福寺や正西の「西」は西方浄土を示すもの、また、山号の東門山(とうもんざん)は極楽浄土の東門、甲山の東の門といった意味合いであったろうと思われます。
現在の本堂は明治30年(1897年)に再建を開始し、10年の歳月をかけて明治40年(1907)、外郭が出来あがりました。
以後、大正時代になって天井張り、柱その他の金箔押しなどの工事が行われ、現在の山門も建てられましたが、昭和初めの地区整理事業にともなう道路拡張により、旧鐘楼、旧東門を撤去し、現在の鐘楼門は昭和10年に建てられました。
また、西福寺は「鍼(はり)の寺」としても知られていました。代々、西福寺では坊守が鍼灸師の資格をとり、門信徒や地域の人たちの治療にあたってきました。「はりの寺」の瓦せんべいを覚えている門信徒も多いと思います。
戦争が終わり、以後50年近くの間に、御門徒の懇念により、本堂の荘厳は年を追って調ってきましたが、悲しいことに去る平成7年1月17日の阪神淡路大震災によって、本堂、正門、鐘楼門、仏具庫は大損害を被り、他の建物はすべて崩壊しました。前住職、坊守、法嗣の3名が亡くなり、門徒の家々も数多く崩壊し、六十余名の死者を出しました。
その後、本堂、山門、鐘楼門、仏具庫は大修理を行い、庫裏等を再築しました。平成12年から13年にかけては本堂屋根瓦の葺き替えや、集会所の建築、同14年には駐車場の拡大等を経て、平成25年には集会所を造設し、現在に及んでいます。
法要・法座
西福寺の年間行事
1月
3月
4月
4月
5月
8月
9月
10月
10月
11月
12月
1日、2日、3日 新春法要
中日までの3日間 彼岸会
9日、10日 門徒中総永代経法要
11日 仏教婦人会物故者総永代経法要
第2土曜日 花祭り
12日、13日 盂蘭盆会・戦没者追悼法要
中日までの3日間 彼岸会
9日、10日 門徒中総報恩講
11日 仏教婦人会総報恩講
25日、26日、27日 御正忌報恩講
31日 除夜会・鐘撞
日常勤行
晨朝勤行 7時半から(毎日)
日没勤行 5時半から(夏季) 5時から(冬季)
※予定しております行事は、新型コロナの影響で変更になることがございます。
寺院概要
宗名 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
宗祖 親鸞聖人
本尊 阿弥陀如来
経典 浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)
教義
南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、つねに報恩のおもいから、世のため人のために生きる。
宗風
宗門は同信の喜びに結ばれた人びとの同朋教団であって信者はつねに言行をつつしみ、人道世法を守り、力を合わせて、ひろく世の中にまことのみ法をひろめるように努める。また、深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない。
アクセス・MAP
寺院名:西福寺(浄土真宗本願寺派)
所在地:兵庫県西宮市西福寺町14-1
電話番号:0798-67-2549
JR神戸線 西宮駅下車 北東に徒歩3分(P有)